大正 3年 | 慈光幼稚園創立。設置者は善勝寺住職髙松鶴丸、園長に髙松田瀬が就任。 |
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昭和 3年 | 飯田市立追手町小学校男子校舎を払い下げてもらい、それを基に園舎の建設。 |
昭和19年 | 戦時体制のため、幼稚園を廃止し、社会事業法による慈光保育園に転換。 |
昭和22年 | 飯田の大火の類焼により、全焼。直ちにバラック・天幕張にて保育再開。 |
昭和28年 | 慈光保育園を廃止、幼稚園に復帰。 |
昭和29年 | 10月、慈光幼稚園創立40周年記念式典および記念行事を行う。 |
昭和30年 | 髙松田瀬、名誉園長となり、園長に髙松了秀が就任。 |
昭和31年 | 母の会による「いつくしみ」第1号の発刊。 |
昭和38年 | 髙松了秀園長退任、髙松喜代園長就任。 |
昭和40年 | これまでの制服白いエプロンを止め、紺の制服に、遊び着としてスモックを定める。 |
昭和41年 | 学校法人に編入、飯田女子高等学校、飯田女子短期大学の姉妹校となる。 |
昭和42年 | 鉄筋コンクリート2階建て781平方メートルの新園舎完成。 旧園舎は本堂横に移築し「慈光保育園」とする。 |
昭和47年 | これまでの母の会をあらため、PTAとし、活動には父親も参加するようになる。 |
昭和50年 | 年少3教室、第2ホール建設、総面積1,346平方メートルとなる。 |
昭和52年 | 屋上にプール設置。 9月スクールバスの運行はじめる。通園区域が山本、座光寺方面へと広がる。 |
昭和58年 | 慈光幼稚園創立70周年記念式典および行事を行う。 |
昭和59年 | 髙松喜代園長退任、髙松和子園長就任。 園児数が増加し、270人を超える。職員室・会議室を保育室に改造、 別に管理棟を建設する。 |
平成5年 | 10月、慈光幼稚園創立80年記念行事を行う。 記念誌・研究誌「一人一人の幼児がのびやかに自己を発揮する保育」を刊行、 PTAより、屋外用からくり時計が寄贈される。 |
平成13年 | 学校安全の普及と向上に貢献したとして文部科学大臣表彰を受ける。 |
平成13年 | 満3歳児「ひよこ」が開始される。 |
平成15年 | 10月31日~11月2日 慈光幼稚園創立90年記念行事を行う。 |
平成20年 | 4月認定こども園の認可を受ける。これまでの幼稚園に慈光めぐみ保育園が誕生する。 |
平成21年 | 4月園舎改築のため1年間 飯田女子短期大学響流館及びプレバブ建て建物にて保育を行う。 |
平成22年 | 4月、新園舎落成、5月15日 竣工記念式典を行う。 |
平成27年4月 | 幼保連携型認定こども園「慈光幼稚園」として認可を受ける。 |
平成30年10月 | 信州型自然保育やまほいくの認可園となる。 |
今から百余年前、まだまだ幼い幼児の教育などということを考える人など希少だった大正3年、
慈光幼稚園は誕生しました。
戦争や飯田の大火という困難に遭いながらも、常に幼児教育の最先端を歩み続けてきました。
これからもよろしくお願いいたします。